フォト
2020年11月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

城郭図鑑

ウェブページ

無料ブログはココログ

80年代の記憶

2020年4月15日 (水)

画一的な世の中

80年代は人類がいちばん幸せだった時代と思います。
文化水準も人類の歴史でピークだったんじゃないかな。
今から思えば「あれで十分」という感じがしましたね。
 
インターネットは便利です。本当に便利。
だけど有効的な活用方法というか、
メリットって2割ぐらいじゃないですか。
通販とか大きくなりすぎて街が死にましたよね。
小売店とか商店街ってなくなっちゃったでしょう。
大規模店舗なんとか法とかもそうですけど、
日本の街はもう死んでしまいました。
 
僕ら学生の頃って全員が企業へ就職するわけでもなかったです。
自営業って立派な職種がありましたからね。
だから中学卒業するときも高校進学しないで職人修行ってやつもいたし、
高校出るときも「俺は家継ぐから」ってのもけっこういました。
 
街へ出て買い物ってのも今はできなくなっちゃった。
専門店があまりないんですよ。
僕が暮らしている街はここ数年で書店がすべてなくなりました。
10年前は少なくとも4店舗あった書店が今はゼロです。
つまらないですね。手に取って買うってのが楽しかったのに。
 
今の子は古本屋なんてのもブックオフしか知らないでしょう。
昔は金がないときにちょっと古い本を売ればそこそこ金になりましたがね。
 
子どもの頃は目白駅から南長崎あたりまで目白通り商店街が連なっていましたが、
もう今はほとんどお店がないですね。
だから縁日とかもまったく活気がないです。
昭和の頃みたいな活気をもう一度取り戻したいけどもう無理なんだろうな。 

2020年4月14日 (火)

BI砲

自分世代のヒーローは誰でしょうね。
ON? 長嶋さんはまったく記憶がありません。
やっぱりBI砲ですかねぇ。
G馬場とA猪木ですけど、僕の時代はもうBIコンビじゃないですね。
全日本プロレスと新日本プロレスの総帥というか社長同士。
コンビ復活は小学生の頃のプロレスオールスターだけです。
Bi  
あまりこの頃プロレスに興味なくて見ていないんですよ。
相手がブッチャーとタイガージェットシンだったのかな。
結局、両雄は雌雄を決することなく終わってしまいました。
 
どっちが強いとかはもうわからないし比較しようもないでしょうね。
自分は猪木ファンだったので猪木が強いと思っていましたが、
全盛期の馬場はスピードもスタミナも凄いことを最近知りました。
 
この二人のエースだった時代を見られたのは幸せだったし、
ナンバー2にジャンボ鶴田と藤波辰爾がいたのも楽しかったですね。
80年代を代表するレスラーですけど、その全盛期は70年代だなぁ。

2020年4月12日 (日)

シバさん

司馬遼太郎の小説との出会いが今の自分を形成した。
そう言って過言ではないと思います。
 
はじめて読んだのは関ヶ原でした。
TBSの正月ドラマが先でしたけど。
あまりにも感動してしまい原作を読みました。
前・中・後の3巻でした。
あっという間に読んでしまいましたね。
読みやすいというか物語に入り込みやすいというか。
 
Siba
 
自分はその後も戦国ものはほとんど読みました。
最後に読んだのは箱根の坂かな。
もう司馬さんがお亡くなりになったずっと後ですね。
街道をゆくも楽しみにしていましたが、
濃尾編のあとぐらいにたしか亡くなられたと記憶しています。
記憶違いだったらごめんなさい。
 
新史太閤記が好きですね。
登場人物がとても生き生きと描かれているでしょう。
信長もねねも藤吉郎も。
 
司馬さんは関西人だから底辺には東京や徳川に対する
アンチテーゼというものがあったと思います。
僕は名古屋だからどっちつかずなんですけどね。
 
いろいろな影響を受けていろいろな場所へ出かけました。
岐阜はもちろん司馬さんが愛した近江へも。
特に琵琶湖周辺の風景が大好きですね。
滋賀県ってまあ琵琶湖しかないんですけどね。
 
文章なんかも好きで影響されるどころか、
僕のホームページの文章にも如実に出ていると思います。
「余談だが」とか「〇〇と言っていい」とか。
そんな言い回しがけっこう出ているんじゃないかなぁと。
司馬史観とか言われて躍起になって否定する人もいますけど、
別に個人の主観であってそれが史実というわけでもないから
あまり目くじらたてるのもどうかなあと思います。
とにかく自分にとってこれ以上の小説家はいないんです。

バックスクリーン3連発

昭和60年は高校2年生。
結果として阪神が優勝して球団唯一の日本一となります。
その端緒となったのがバックスクリーン3連発でした。
4月17日の甲子園球場、読売ジャイアンツとの2回戦ですね。
 
あまり記憶が定かでなくてずっと土曜日かと思っていたんですが、
実際には水曜日だったんですね。
広島での開幕戦が雨で流れてスライドしたんですが、
いきなり北村の隠し球アウトとサヨナラ負けでスタート。
2戦目を何とかギリギリ拾って甲子園へ戻りました。
 
初戦もけっこう凄かった。
掛布のホームランとか木戸のプロ初ホームランとか、
投げては伊藤がこっそり完投勝利とかありましたけど、
歴史に残る河埜の落球がありました。
2死だったけど佐野のショートフライを名手河埜が落としてしまい
阪神が同点に追いつくわけです。
これも1走の岡田が全力疾走でホームインしたファインプレイでした。
 
Tigers
勢いに乗った阪神でしたが槇原の前に劣勢。
もともと槇原苦手だったんですが、
バースの第1号が飛び出して状況は一変。
かなり全力に近い走りでベース一周して
出迎える弘田の手をパチーンと叩いて弘田が痛そうにしていました。
続く掛布もセンターやや左へ放り込みベンチ前でバースと抱擁。
次の岡田はもう絶対に続くだろうなと思っていたら本当にホームラン。
世に言うバックスクリーン3連発の完成です。
3戦目も取ったタイガースは一気に勢いに乗りました。
ということもなくて広島に抜かれたりしましたけど、
世間が阪神を後押ししてくれた感じもあって突っ走りました。
9月以降の戦いぶりは本当に強いチームだったと思います。
ちなみにあれからたったの2回しか優勝していません(笑)

2020年4月11日 (土)

超獣の思い出

ブルーザー・ブロディって覚えておられますか?
20世紀のプロレスファンなら大部分の方がご存じでしょう。
Blody
190センチ超の長身とシャープな身のこなし。
全日本プロレスではジャンボ鶴田の好敵手として、
またスタン・ハンセンのパートナーとして活躍しました。
新日本プロレスにも出場してアントニオ猪木と好勝負をしましたが
猪木の全盛期を過ぎたあとだったことがちょっと残念でしたね。
 
ブロディをはじめて生で見たのは中学3年のときでした。
受験も終わって気楽になった頃ですから昭和59年の3月のことだったと思います。
調べてみたら確かにこの時期にブロディは全日本プロレスに来日していました。
なぜか後楽園ホールの前から2番目ぐらいの良い席に座っていました。
一緒にいたのは同級生の鎌田君でしたね。
いよいよメインになってブロディが登場です。
移民の歌が流れて照明が暗転してパッと明るくなると僕らの席列に超獣が突進してきていました。
怖いなんてもんじゃない。鎌田君が「来た来た来た来た」と逃げようとするから僕も逃げました。
あとは覚えていませんし、その試合のカードも覚えていません。
まだ若手だった三沢光晴選手が僕たちの椅子を戻してくれてそこへ座りました。
 
今まで何度もプロレス会場に足を運んでいますが恐怖を感じたのはあの時だけですね。
アンドレ・ザ・ジャイアントやハンセンも怖かったですけど
ある程度距離が取れたのでそれほどでもなかったです。
このときのブロディに追いかけられたときはもう生きた心地がしなかったです。
 
新日本プロレスとはあまりスゥィングしなかったようで
何度かトラブルを起こしたあと全日本プロレスへ戻りました。
海外でもドタキャンなどのトラブルが多く、結局それでプエルトリコで殺されてしまいました。
今生きていたら70歳過ぎぐらいなのかな。そんなブロディも見てみたかったですけどね。
ハンセンやタイガー・ジェット・シンなんかもそうだけど
役割に徹した感じのプロだったと思います。
ちょっと不器用ではありましたが、そこがまたカッコいいんですよね。