フォト
2020年11月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

城郭図鑑

ウェブページ

無料ブログはココログ

« 28中田良弘 | トップページ | 33大野久 »

2020年6月 4日 (木)

56御子柴進

やや下手気味のサイドスローの御子柴投手、懐かしいですね。
まぁ、ここで語る選手はみんな懐かしの選手ばかりですが。
ずっと松商学園と思っていたんですが違いました。
1年目で1軍の勝ち投手になっているんですね。
そうはいっても入団3年間で登板数は10試合にも満たず。
阪神の弱体投手陣で出番がなかったのはまだプロの体じゃなかったのでしょうね。
4年目に10試合以上登板して1軍に定着し始めます。
中日とヤクルトに強かった印象があります。
確か唯一の完封勝利はドラゴンズ戦でした。
あの時は阪神の投手が3試合連続完封をしたんです。
それも継投ではなく一人でね。
中日3連戦なのかカードをまたいでなのかは覚えていませんし、
御子柴と久保、もう一人がどうしても思い出せないんです。
89年だから仲田あたりなのかな。
 
得意チームが限定されているので先発ローテーションに固定されることはなく、
もっぱら中継ぎ要員でしたが優勝を争った92年は内容も良かったです。
当面の敵であるヤクルト戦の相性の良さを買われてよく投げました。
先発起用したらもっと面白かったと思うんですけどね。
翌年はさらに登板数が増えましたが防御率は悪化しました。
リリーフには葛西と伊藤敦という同タイプがいたこともあり
だんだんと御子柴の活躍も少なくなりました。
特に引退試合などはすることなくマウンドを去ったと記憶しています。
コーチとしては失格の烙印を押されてしまいましたが、
岡田監督の広報として時々顔を見せました。
御子柴はかなりのイケメンでもっと活躍していれば
さらに人気が爆発したと思いますね。
真弓監督のときからはスコアラーとして阪神を支え今に至ります。
やはり時々テレビに映るんですよね。
すっかり白髪頭になった御子柴を見て
時代は流れたなあとちょっぴり寂しくもなりました。

« 28中田良弘 | トップページ | 33大野久 »

猛虎列伝」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 28中田良弘 | トップページ | 33大野久 »