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2020年6月 6日 (土)

11村山実

村山さんの選手時代は知りません。
というか全盛期は生まれてないですね。
引退試合も僕は野球に興味を持つ前の出来事です。
最初の出会いは小学生のときに買った野球入門。
そこに村山さんのオフのトレーニング方法が紹介されていました。
初版が発行されたときにはまだ現役だったのでしょうね。
冬の間はとにかく走る。
舗装された道路は膝を痛めるから
土手やグラウンドの土の上を走ろうと書かれていました。
 
背番号11は永久欠番になっていることからも
村山さんの阪神時代の功績がうかがい知れます。
大卒で222勝ってすごい記録ですからね。
子どもの頃の印象は日本テレビの解説ですね。
「あれはファウルだったですねぇ」
それがもう代名詞というかね。
昔の本や古い時代の映像を見て、
「あぁ、やっぱりかっこいいなぁ」と思いました。
昭和45年かな?防御率0点台を記録しています。
選手としては晩年だと思いますが、
1点取れば勝ちですからね。
 
そんな村山さんが阪神の監督に復帰したのは昭和の最後でした。
バースがシーズン途中で退団し球団代表が自殺。
そして掛布もシーズン終了を待たずして引退を発表。
何も見るべきものがないというシーズンでした。
数年前の優勝は何だったんだろうか。そんな気持ちでしたね。
翌年、村山監督はチームの若返りを図りました。
佐野、田尾といったベテランから
大野、中野、和田といった若手にチャンスを与えました。
平田や木戸といった中堅すらも出場数が減ったと思います。
新外国人のフィルダーが大活躍し3年目のキーオも大車輪の活躍で
チームはなんとか5位に浮上し最下位を脱出しました。
でもそれだけだったという印象です。
 
今も覚えているのは神宮球場のラストゲーム。
このとき村山さんの退任が決定していました。
このゲームで阪神は快勝しています。
ゲーム内容は覚えていませんが圧勝しました。
この試合は生で観戦しており、
試合後に3塁側内野席前を通る村山さんには
阪神ファンの惜別コールが鳴り響いていました。
僕らも外野席からムラヤマコールを叫びましたが、
村山さんは選手通用口からくるっと振り返り、
帽子を振って僕らに応えてくれたことを本当によく覚えています。
満面の笑みでした。遠目にもそれはよくわかりました。
 
阪神大震災で村山さんは自宅もオフィスも大きな被害を受けています。
でも近所の人たちに炊き出しをしたりしていたニュースを見ました。
激情家ですが他人に優しく思いやりのある方です。
そんな村山さんが阪神の復活を見る前に亡くなってしまったのは本当に残念でした。
地震の心労が重なったのも影響していると思います。
どうか天国から若い猛虎たちに叱咤激励してやってください。

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