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城郭図鑑

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2019年4月22日 (月)

江ノ島線に乗って

相模のどこに行こうか迷ったが、
気温が上がりそうだったので起伏の多い三浦半島はやめて
少しでも歩く時間を省略できる大和市へ向かった。
 
7:09 下鶴間城山(神奈川県大和市)
100_0003 現況
丘の上は北大和小学校があるだけ。
台地斜面の雑木林には何もなさそうだった。
 
7:40 深見城(神奈川県大和市)
100_0016_2 主郭跡と空堀
今日の目当てはここだった。
明確な遺構が残るが訪れたことがなかった。
期待通りの遺構を見てかなり満足できている。
 
8:46 坂本小左衛門重安屋敷(神奈川県大和市)
100_0045 深見神社
場所が不確定だが深見神社の由来に坂本家の記述があり、
隣接する佛導寺には坂本家の墓所がある。
おおよその場所はこのあたりでいいだろう。
一時的ながら1万石の大名になっている。
 
9:39 長後城(神奈川県藤沢市)
100_0053 長後天満宮
渋谷氏の本拠地を見ておきたかったので長後駅で下りた。
ひとつふたつ丘を上り下りして長後天満宮へ着いた。
遺構はないがいかにもといった地形が残っている。
境内の石碑と案内板にも渋谷氏居城ということが記されていた。
 
このあと大庭城に行くか、それとも伝承地廻りをするか迷ったが、
思いのほか暑くなってきたことと、正直言って気分が萎えてきた。
深見城のあとはかなり退屈なんでね。
中央林間へ戻り田園都市線で渋谷まで一直線。
昼過ぎに帰宅したから奥さんがびっくりしてた。

2019年4月15日 (月)

足慣らし

正月以来の房総への波状攻撃で疲れ切ってしまった。
山城にはあまり訪れることのない冬が終わり、
藪に入るのは億劫な季節となったので神奈川へ方向転換。
 
11:13 菅寺尾城(川崎市多摩区)
100_0016_1 空堀
ものすごい久しぶりである。
緑地内にある空堀はほとんど埋もれていた。
 
12:10 稲毛三郎重成館(川崎市多摩区)

100_0039稲毛重成墓
ここもまたずいぶんと久しぶり。
重成の墓を見たあと同じ墓地にある墓に目をやると
武田信虎から甲州で采地を与えられたという碑が建っていた。
ちょっとこのことは追々調べてみようかと。
 
12:27 桝形山城(川崎市多摩区)
100_0052 展望台から見る主郭跡
やっぱり久しぶり。というか以前と同じ行程。
遺構はほとんどないに等しいけど綺麗な公園だとは思う。
 
13:25 長尾陣屋(川崎市多摩区)
100_0086 長尾神社
江戸時代の陣屋か中世の屋敷跡か。
屋号が陣屋の宅地があるので場所は確かかと。
 
13:50 葛山平氏屋敷(川崎市宮前区)
100_0092 東泉寺
屋敷跡の場所はもうわからないが、
東泉寺の碑文に葛山平氏のことが刻まれていた。
 
14:22 作延城(川崎市高津区)
100_0102 石碑
多摩区から高津区まで歩いたのか。疲れるわけだ。
以前見つけられなかった石碑を見つけて終わり。
 
安房、上総の城を見続け、常陸の巨大城郭を見たあとなので、
さすがに神奈川県の城はいずれもがっかりするものばかり。
まあ、去年も春から夏はこんな感じだったので。

2019年4月 2日 (火)

時代はめぐる

中島みゆきの唄じゃないけどジオシティーズが消滅した。
調べものをしていてもサービス終了の画面があるだけ。
膨大なデータベースになっていたわけで不便極まりない。
それまでもサービス中止で終了してしまったホームページなんかもあって
だんだんと不便な世の中になっていくなぁと思うわけです。
ニフティもノジマに売却されてからサービスの質がどんどん低下しており
いつかこういうものはなくなってしまうんだろうなと考えたりしますね。
スマホの画面も半分が見るに堪えないくだらない広告だったりと
善意のサービスというものはなくなっていくんでしょうね。
金払ってても広告だらけなんだけど、ニフティ。
ブログ作成も本当に使いづらいな、ニフティ。

2019年4月 1日 (月)

イバラの道を進まん

さすがに千葉は飽きた。
行くところも勝浦か銚子ぐらいしかない。
それほど面白そうな城があるわけでもなし茨城へ路線変更。
 
8:59 南酒出城(茨城県那珂市)
100_0016 二の郭 空堀
1年ぶりの茨城県トップバッターは南酒出城。
駅から近いのと額田城へ訪れやすいので立ち寄る。
ここは来ておいて良かった。土塁と空堀が凄かった。
 
9:38 北酒出城(茨城県那珂市)
100_0059 比定地の塚
短命な城だったこともあり所在地も不確定。
台地先端には何もなし。
駒形神社の北に塚があるだけだった。
 
10:22 小堤館(茨城県那珂市)
100_0072 鱗勝院の土塁
独立した館というよりは額田城の外郭というか。
一応土塁は残されている。
 
10:53 額田城(茨城県那珂市)
100_0115 主郭の空堀
あちこちに散らばる外郭遺構を捜し歩き
主郭へ着いたのは11時近くだった。
大きい城で空堀の規模が段違い。
反面、主郭や二の郭の土塁は思ったほど残っていない。
 
12:27 加納城(茨城県那珂市)
100_0165 三嶋神社境内の古墳
佐竹氏の祈願所とか石碑に刻まれていたが
城跡ということについての言及はなかった。
土塁というか古墳で標柱も建っている
 
13:07 石神城(茨城県那珂郡東海村)
100_0217 三の郭の空堀
大きさがよくわからなくてあまり期待してなかった。
来て見てびっくりするほどの空堀と土塁だった。
これを見て満足してしまい多良崎城はもうやめた。
 
今日は3本のホームランが飛び出した感じだ。
房総の城も楽しかったけど茨城は空堀が大きい城が多くて楽しい。
親分の水戸城からして空堀凄いんでね。伝統なんでしょうなぁ。
おかげでいいかたちでシーズンを終えることができましたワ。
このあとはまた埼玉県内か頑張って長野あたりか。

2019年3月25日 (月)

また千葉でどうだ

今年何度目だろう。
少なくとも7回目ぐらいだと思うがまた千葉へ。
前々から坂田城は一度見ておきたいと思っていたので。
 
8:47 浜手城(千葉県山武郡横芝光町)
100_0015土塁
手始めは坂田城の支城浜手城。
取るに足らない小さな砦だが遺構はあった。
 
9:04 坂田城(千葉県山武郡横芝光町)
100_0042二の郭 虎口の土塁
ようやく念願叶い訪れた坂田城。
噂に違わぬ巨大なスケールには感嘆した。
だけどね、ただ大きいだけという感じしかなかった。
例えるなら晩年の曙太郎かな。
 
10:35 要害台城(千葉県匝瑳市)
100_0071現況
丘の上は宅地だらけで何もない。
旧八日市場城とでも言うべき城か。
 
10:40 匝瑳城(千葉県匝瑳市)
100_0073現況
匝瑳高校敷地となりここも遺構はない。
保険センターあたりの台地裾がちょっと城っぽい。
 
10:48 八日市場城(千葉県匝瑳市)
100_0112堀切
天神山公園となっている。
城跡だったことを示すような案内板はない。
地形はまずまず残っているし、こんなものかと。
帰りは南側斜面から下りたがここは手つかずで良い感じだ。
 
13:00 津辺城(千葉県山武市)
100_0143主郭の空堀
かなり手強い藪だったがここは凄かった。
坂田城の記憶が飛ぶぐらい良かった。
二の郭は杉林だから歩きやすいが主郭はもうとても。
 
13:39 富田城(千葉県山武市)
100_0175主郭の土塁
近いから何となく立ち寄ったが、
なかなか良かったと思う。
ちょっと陰鬱な感じが好きだ。
 
14:09 成東陣屋(千葉県山武市)
100_0185現況
陣屋跡は石碑や案内板もない小さな公園。
でもここだけ宅地化しないのは何となく好き。
 
14:14 成東城(千葉県山武市)
100_0198主郭の土塁
今日は気合十分だったらしい。
いつもなら成東を素通りして帰宅したと思う。
成東城は予想を遥かに上回る遺構だった。
とても気に入ってしばらく長居した。
 
千葉も少し飽きてきた。城跡ではなく道中が。
毎度の西船橋乗り換え千葉経由ってのが飽きた。
でももう一度ぐらい行くと思う。

2019年3月24日 (日)

すさまじい改悪

使いづらくなってしまったニフティのブログ

2019年3月17日 (日)

くるりんぱ

房総半島攻略は飽きもせず続く。
館山まで行けばもう何も怖くない。

9:28 久留里古城(千葉県君津市)
100_0023 二重堀切
城山トンネルから舗装路を行くなんてことはしない。
そこから尾根へ上がりまずは古城へ。
車道で破壊されている久留里城より凄かった。
こんなに明確な遺構があるとは思っていなかった。

10:14 久留里城(千葉県君津市)
100_0121 本丸
古城を見たあとだから少し残念な部分が多いが、
こっちも負けず劣らずの名城だった。
尾根の先端までヤマビルも忘れて駆け抜けたが、
とても立派な城だと思う。
近世の三の丸はさらっとしか見ていない。つーかどうでもいい。

先日の館山城がまったく霞むほどの凄い城だった。
上総恐るべしである。
さすがにそろそろヤマビルが出そうな感じがするので打ち止めか。
次は銚子か勝浦か。

2019年3月12日 (火)

爽やかな大人の辛さ

サニー千葉へのアタックは続く。

9:19 稲村城(千葉県館山市)
100_0059 主郭跡の土塁
佐貫町を過ぎると車内がガラガラになった。
館山で鴨川行に乗り換えてまずは稲村城へ。
この先おそらく来ないと思うのでとりあえず立ち寄る。
暖かいのでチョウは舞うわ、小さな虫は飛び交うわ。

10:27 南条城(千葉県館山市)
100_0089 遠景のみ
藪ばっかりの山城はするするとスルー。堀切しかないし。

11:41 藤井陣屋(千葉県館山市)
100_0099 陣屋跡推定地
案内板ひとつない江戸時代の陣屋跡。
正木時茂の屋敷跡とも。

11:46 館山陣屋(千葉県館山市)
100_0110 石積
館山城取り壊し後の近世陣屋。
それなりに遺構は残されているようだった。

11:54 館山城(千葉県館山市)
100_0139 本丸跡の模擬天守
付近の陣屋跡を訪ねる前に鹿島濠は見ておいた。
里見氏の居城だが普通の公園となっている。

12:56 鶴ヶ谷陣屋(千葉県館山市)
100_0160 諏訪神社
明治維新後に短期間置かれた本多氏の陣屋。何もない。

12:59 北条城(千葉県館山市)
100_0162 現況
中世の北条城跡で近世には北条陣屋が構えられた場所。

それにしても館山は遠かった。
去年から行こうとすると雨ばかりで5度目の計画でやっと。
風は強いけど暖かく快晴で海がとても綺麗だった。
ここまで来てしまえばもう千葉はどっこも遠く感じない。

2019年3月 8日 (金)

白覆面の魔王

城とは関係ないですがデストロイヤーさんが亡くなりました。
僕は子ども時代からプロレス好きなのでショックでしたね。
昨年来、サンマルチノ、ディック・スレーター、ドン・レオ・ジョナサンなど

多くのレスラーが亡くなりました。マサ斎藤さんもそうでしたね。
少年時代に声援を送った人たちが世を去るのは悲しいものです。
猪木さん、坂口さん、ファンクス、マスカラスには長生きしてほしいですね。

2019年3月 1日 (金)

上総介

ちょうど1年前に館山城へ出かけようとした。
その日も予報は晴れだったが、夜明け前から天気はぐずついていた。
予報を信じて武蔵野線で南船橋まで来たときには暴風雨だった。
あきらめて引き返し東浦和で城館探訪をしたことを覚えている。
今日もまったく同じで夜明け前までの晴れ予報は見事に裏切られ、
館山行きの列車の車窓から見る風景は雨だった。
予報も雨のち曇りに変わっていたので館山城はあきらめて
佐貫城へ向かおうとしたが雨の藪には入りたくないので
青堀駅で降りて飯野陣屋へ向かって歩いた。

8:45 飯野陣屋(千葉県富津市)
100_0025 北東の土塁と濠
進路変更は吉と出た。下手な平城を凌駕するような遺構がある。
それにしても富津市は古墳が多い。
僕は古代豪族についてはまったく疎い門外漢だが、とても興味深いものだった。

10:37 請西城(千葉県木更津市)
100_0049 共同墓地の土塁
城めぐりで上総に足を踏み入れたのは初めてだと思う。
というより上総と下総の境界がよくわからない。
請西城はあまり期待していなかったが良い意味で裏切られた。
集落のそこかしこに土塁がある。あるいは古墳かもしれない。

11:00 真武根陣屋(千葉県木更津市)
100_0065 陣屋跡の石碑
請西藩の陣屋である。
わずかながら土塁が残っている。

11:33 貝淵陣屋(千葉県木更津市)
100_0074 陣屋跡の石碑
同じく請西藩の陣屋で上屋敷と下屋敷とで区別されていたという。
石碑の裏を流れる用水路は濠かもしれない。

12:19 五井陣屋(千葉県市原市)
Img_20190301_121937 五井駅
近世の五井陣屋跡は五井駅付近とされている。
わざわざ下車して駅舎を撮影する気にもなれず
車内からホームを撮影したのみ。

12:48 白船城(千葉県市原市)
100_0080 堀切
昭和の頃までは遺構が残っていたらしいが今は宅地が建ち並ぶ。
名前の通り船のようなかたちをした雄姿を見たかったものだ。

13:00 能満城(千葉県市原市)
100_0100 主郭の土塁
この城には朽ちかけているが標柱が設置されている。
内部は私有地だろうが誰もいなかったので見学した。
虎口の巨大な土塁がとても見事だった。

13:22 市原城(千葉県市原市)
100_0119 土塁
のっぺりとした台地上は住宅街となっている。
そのため遺構は断片的にしか残っていなかった。
市原市の名前を冠する城だけに少し残念に思う。
台地を下ったところにほとんど消えかけた標柱が建っている。

14:06 八幡御所(千葉県市原市)
100_0128 現況
疑定地ではあるが場所は概ね間違いないだろう。
ガーデンセンターや大型スーパーとなっている。

14:31 馬加康胤墓所(千葉県市原市)
100_0132無量寺の康胤・胤持の墓
八幡陣屋へ移動する途中で馬加康胤の墓に立ち寄った。
つい先日、馬加城を訪れているし首塚も訪ねている。

14:41 八幡陣屋(千葉県市原市)
100_0140 現況
陣屋跡は何ひとつないし案内板などもなかったが、
クランクしている道が往時を物語る。
その突き当りにあったのがこの土塁と石碑だった。
碑文はよくわからないし土塁も遺構ではないかもしれない。
ただ陣屋跡の敷地であることは確かだ。

雨に祟られたのは確かだが、おかげで本当なら行かないような城へ行けた。
怪我の功名とでも言おうか、これはこれでとても楽しかった。
駅からそれほど遠くない城ばかりなのもありがたい。
そうは言ってもかなり歩いたけれど。

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